虎々なるままに日暮し

赤星、電撃引退~さよなら、ありがとう~

「レッドスター」の愛称で親しまれた阪神の赤星憲広外野手が9日、現役を引退することを明らかにした。
赤星選手は大府高から亜細亜大、JR東日本を経て01年に阪神入り。1年目から俊足を武器に頭角を現し、ルーキーから5年連続でセ・リーグ盗塁王を獲得した。セ・リーグ記録となっている5年連続の盗塁王に加え、ベストナインを2度、ゴールデングラブ賞を6度獲得。オールスターに3度出場するなど阪神の「斬り込み隊長」として03年、05年のリーグ優勝に大きく貢献した。
しかし、近年では頚椎のヘルニアなどの故障に悩み、今年9月12日の横浜戦でダイビングキャッチを試みた際に首の状態を悪化させたと伝えられていた。今季は91試合のみの出場で打率.263、0本塁打8打点31盗塁だった。プロ通算9年で4964打数1276安打、381盗塁は球団記録となっている。

【赤星選手引退記者会見】
今日はお集まりいただきありがとうございます。社長も同席すると言ってくださったが1人でやらせて下さいとお願いしました。
本当にわたくし事ですが、このたび現役引退をすることを決めました。当初新聞紙上などでは頚椎ヘルニアの悪化と言われていたが、実際は中心性脊髄損傷という診断をされていました。状況が把握できず、認識もできてなかったので、引退は想像もしてなかった。9月12日にケガをしてその症状のひどさは想像を絶するものがあり、今でも腕についてはあまりいい状態ではない。ただ1ヶ月くらいしてだいぶ状態が良くなり、よし、これで復活できるという気持ちが強かったが、全国いろんな病院に行って今後のこととか話を聞いて、今のままで現役を続けることは危険だと言われた。始めは復帰したい、ユニホームを着てグラウンドに立ちたい気持ちが強かったが、いろんな所に行けば行くほど、状況を把握せざるを得ない状況、理解せざるを得ない状態になった。もちろん球団にも現状は報告が行ってたから、最初に「引退した方がいいんじゃないか」と言われた時は、正直「できます」と答えた。僕は最後の最後まで続けたいと。1つ言ったのは「例え1年でも様子を見てくれないか」と。
今でも実感がわかないのが本当の気持ちですが、1つ僕の中で決めた理由の中に、病院に行っていろんな話をする中で「今度やったら不随になる可能性、最悪命の危険もある」と言われた。万が一は、万が一なので、そういう危険なプレーをしなかったら、という気持ちもあった。2007年の時より危険は倍増したのは分かっていたから、そういうプレーを避ければとも思ったが。この世界に飛び込んで、プロの体の大きさや強さを痛感しました。精一杯を出さないと、100%の力と100%のパフォーマンスと100%の気持ちを出さないと勝てない。そういう時に「次にやったら」という恐怖感を持って試合に臨む、100%のプレーができないと考えた時点でプロとして身を引くべきだと考えた。
歩いているし、本当にそんなに悪いのかというふうに見えるかもしれません。私生活を見ててもまだできるんじゃないかと正直思うが、僕の全力プレーを見てファンが喜んでくれて、チームも引っ張ってきたつもりですし、それが出来ないということも決めた一つの理由。実際引退とか辞めようかなとかはシーズンが始まる時に悩んできた選手はたくさんいるが、僕はこの1ヶ月ほどしか考える時間がなかったし、今も実感がわかないのは確か。1ヶ月はむちゃくちゃ長かったし、誰にも相談できない。今までで1番苦しかった。本当に悩んだ1ヶ月だった。


―両親への相談。
それも決め手のひとつだった。両親に話した時に、やはり体のことを第一に考えてくれて、まだ続けると言ったら、止めなきゃと思っていたようなので。9年やって「もういいでしょ」と。そう言ってもらえたんで。それが1つかなと。
―セレモニーも無い引退。
今年までレギュラーで試合に出てて、このケガさえなければ、レギュラーでやっていける自信、若い選手に負けない自信もあるが、その中で正直実感がわかないし、まだまだできるという気持ちがあったので。
―印象に残る場面。
あまり振り返りたくないが、2003年のサヨナラヒットが一番思い出に残っている。2005年日本シリーズで4連敗したことも。あの悔しさがあるから、もう一度日本一になりたい気持ちが強かった。日本一になれず辞めるのは悔しい。
―恩人について。
指導をしてくれた人全てが恩人だと思ってますし、小さい頃からやり続けているそこで出会った人全てが恩人と思ってる。9年は短かったけど、ここまでできると思ってなかったし、ありがたいし、自分が頑張った成果だ、とも思う。なので恩人というより全ての人に感謝したい。
―9年間のこだわり
盗塁に関しては絶対プロで通用すると自信があったし、実際通用して、その中でホームに還ってくる快感は僕の中で野球の中で一番の喜びでした。正直タイガースは僕が入るまではそういうチームではなかったので、そういう意味で意識改革はできたかなと思うし、他球団を見てても、走塁は大きなポイントだと思うので。いい意味で改革ができたんじゃないかと。
―ケガを乗り越えてきた源。
いろんなケガをしましたし、その中でなんとかと思いながら、後はとにかく気持ちで野球をやろうと思ってきた人間なんで、肋骨が折れた時も気持ちでやってきたが、今回のケガは気持ちでカバーできるものではなかった。
―もうユニ姿が見れない。
本当にファンの方にはたくさん応援してもらいパワーをもらい、引っ張ってもらったこともあるので、姿を見せられないのが残念で、さみしいなぁと思う。
―今後について。
野球のために人生を使ってきたし、野球を選ぶことで犠牲にして、捨てたこともある。今回のことに関しても、野球が人生の全てだと思っていたが。よく現場で死ねたら本望って言うが、正直あの時本望だったかと言われたらそうではなかった。恐怖心もあった。これから人生はまだ30年以上あると思うし。僕から野球を取ることはできないし、忘れるというのは無理なんで、なんらかの形で野球の発展とか、力もなりたいと思う。野球とは離れられないものと思ってますから。
―車いす活動も。
そういう社会貢献に興味を持ってる選手も増えているし、今日もこれからやりますが。最後の車いすだと思うと、正直まだもっとできないかなと。まだ100くらいは贈りたいと思っていたので。
―選手へ。
ぎりぎりまで悩んだので今日の引退も伝えきれてない選手もいるが、本当に、伝えた選手には寂しいとか言ってくれ、その時は本当にかなり寂しい気持ちにもなったし、まだできるんじゃないかと思って自分が辞める中で、長くやっている選手には公私ともども世話になったし、若い選手にもまだまだできる選手がいっぱいいるし、そういう選手には本当に頑張って欲しいと思う。2008年の大逆転をやり返したい気持ちもあるし、僕はプレーして晴らすことはできないので、それをみんなに託して、みんなもまさか正直辞めると思ってなかったみたいで、現実を受け止められない選手も多くいた「もう1回話をしようよ」と親身になってみんな聞いてくれた。
―いま改めて実感は。
今の状況でこれを受け止めるっていうのは無理かなと、1月に自主トレとかキャンプをやっているのにしてない時に初めて野球を辞めたと実感がわくんじゃないかと思う。
―ファンの皆さんへ。
本当に9年間でしたけど、本当にたくさんの応援をしていただけたからこそここまで成長できたと思うし、本当にファンの人たちと優勝して気持ちを分かち合った経験もできた。勇気も希望も与えてもらったし、野次に反論したりもしたが、あの大歓声の中で野球がもうできないと考えると、さみしい。本当にお礼が言いたい。感謝しきれない。ありがとうございますと言いたい。僕も阪神タイガースを応援する立場として、みんなに日本一を託すしかできないので、もっともっと阪神タイガースが、阪神ファンが球界を盛り上げていかないと、と思う。本当に、 9年間お世話になりました。


≪赤星、決死のダイブは後悔なし≫
「泣いたら、いろんなことを後悔すると思った。貫き通そうと思った」。記者会見の間、赤星が涙を見せることはなかった。
怪我をしたのは9月12日、雨の甲子園だった。右中間の当たりに頭から飛び付き、赤星のプロ生活が終わった。「夢であのシーンが出てくる。野球人の本能でやった。後悔はしていない」。この言葉に、この日一番の力がこもっていた。

≪赤星、球団記録の走塁でチームを意識改革≫
縦横無尽にグラウンドを駆け回る。だが、試合後は足を引きずり、歩くのもままならない。赤星は故障を背負いながら、阪神を支えた。
「肋骨が3本折れても、気持ちで野球をやってきた」と赤星。行動でチームを引っ張り、金本らと共に若手の見本となった。新加入の選手がいれば食事に誘い、溶け込みやすい雰囲気を作る。選手会長として気配りも忘れなかった。
「入った時から自信があった」と言う盗塁は球団記録の381。スライディング一つを取っても、スピードの落ちない滑り方を理路整然と説明。キャンプ中のチームのベースランニングは赤星を参考とした。「僕が入ったころは、そういう(走塁を考える)チームじゃなかった。改革はできたかなと思う」。ナインの走塁への意識を高めたのは間違いない。
広い甲子園で俊足を生かし、ゴールデングラブを6度受賞。「全力プレーで引っ張ってきたつもり」と言う通り、身長170㎝の小さな体はいつも走攻守で躍動し続けた。

≪引退会見後に…最後の車いす贈呈式≫
赤星は9日の引退会見後、長年守り続けた甲子園球場のセンター芝生上で最後の「車いす贈呈式」を行った。03年以来、毎年自身の盗塁数に合わせ、全国の施設などに車いすを寄付してきたが、今季は31台を寄付。「無理を言って、この場所でやらせていただいた。これが最後と思うとさみしいですね」。通算300台を超えたが「まだ100でも200でも贈りたかった」と話し、今後も社会貢献活動を続けたい考えを打ち明けていた。

≪「甲子園歴史館」赤星コーナー設置検討へ≫
赤星の引退を受けて、2010年3月にオープンする予定の「甲子園歴史館」に、赤星コーナーを設置することが検討される。沼沢球団本部長が10日、「いろいろなコーナーがあるし、これから考えていきたい」と前向きにコメントした。球団設立以降の貴重な資料や、名選手のグッズが並べられる予定の史料館で、レッドの足跡も感じられるようになりそうだ。


≪赤星の背番号「53」来季は欠番≫
赤星が付けていた背番号について、沼沢球団本部長は「来年については誰も付ける予定はありません」と話した。背番号53。新人王獲得の際にはひとケタへの変更を打診されたこともあったが、本人がこだわり9年間背負い続けた。ファンの間でも馴染みの深い番号は当面、空き番になることになった。

≪赤星引退、一夜明けファンから電話殺到≫
赤星の引退が発表されてから一夜明け、西宮市内の球団事務所に、ファンからの電話が鳴り響いた。「朝から何件かのお電話を頂いています。『残念です』、『お疲れさまでした』という言葉を聞いています」と球団広報が話した。また赤星の公式サイトには、ファンから2000件を超える書き込みがあり、引退を惜しむとともに、9年間のプロ生活を労うコメントが寄せられた。
また、赤星選手のオフィシャルブログでも引退が発表されている。ファンからのコメント数は10日には1800を超え、「弱かった頃の阪神から見てきた私としては赤星選手はまさに希望の星でした」「2003年以降、阪神の黄金時代を引っ張ってきたのは、誰が何と言おうとあなたです」「盗塁、走塁があんなに魅力的なものであると教えてくれた」といった声が寄せられている。
入団会見では「新庄さんの穴は僕が埋めます」と語っていた赤星選手。9年間の活躍は、それ以上のものだったといえそうだ

⇒ありがとう、赤星。お疲れ様、赤星。
数少ない甲子園での観戦で、あなたのプレーが見れて幸せでした。マウンドを駆け抜ける姿も、打てずに悔しがる姿も、観客と喧嘩する姿も、選手会長としての姿も、毒舌吐く姿ももう見えないんですね…寂しくて、急過ぎて涙が止まりません…でも、これからどんな活躍をしようと、赤星を応援し続けるでしょう。
ただひたむきに、阪神の為に、ファンのために、満身創痍な状態にもかかわらず走り続けてくれた、赤星選手…本当に、ありがとう!体を、本当に体を大切にして下さいm(__)m




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by kuru2chanbei | 2009-12-09 17:47 | 虎球団

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