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虎々なるままに日暮し

赤星引退へのコメント~阪神~

真弓監督「引退に関しては本人と直接は話していないが、球団から報告は受けていた。チームとすれば赤星が抜けるのは戦力的にかなり痛い。でもケガの状態と赤星本人のことを考えると、野球を続けるのは難しく、仕方がない選択。赤星はチームにとっての最高の功労者。1番であれだけの出塁率があって、盗塁が出来て、守備がうまい選手はいない。本当に長い間、ご苦労様でした。無理して野球を続けていた分、これからは体を労わってほしい。チームとすれば、かなり痛い。(今後の1、2番は)考えるというより、実際にやってみないと分からない。今年、やってくれた人が入ることもあるし、外国人も含めてこれから。打線というより、センターの守備の方が心配」
金本選手「ビックリしています。悪い悪いとは聞いていたけど、そんなに悪いとは思いませんでした。ただ直接話を聞いて、今後の野球人生よりも、人生そのものの方が大事だとは思うので、赤星の選択は間違いでないと思います。一緒に戦えないのは残念だけど、今後の人生、体に気をつけて頑張ってほしい。チームとしてもリーダーシップを取れる選手が減ってしまったと感じる。野球人生は終わりだと思うけど、まだまだ野球に関わっていくと思うので、後輩たちに多くのことをしっかりと引き継いでいって、野球界に大いに貢献していって欲しい」
矢野選手「とにかく信じられない。ビックリした。これまで赤星が活躍、機能することでタイガースは勝ってきたし、来年からもそうなると思っていた。プレー同様、選手会長としても、年上の選手も多い中で、本当に気をつかって、僕らのやりやすいようにしてくれた。そんな赤星の穴は簡単に埋められるものではない。個人の意見としては何とかリハビリして、簡単なことではないと分かっているけど戻ってきてほしかったというファンの心理と同じ心境。赤星のお陰で優勝も経験させてもらえた。本当に急すぎて残念。これからの人生もあると思うし、とにかく体を大事にして、頑張ってほしい。僕も赤星に応援してもらえるように頑張ります」
下柳選手「残念ということしかない。ただ赤星が決めたことなので。今後の人生はまだまだ長いのでしっかり治して、第2の人生を思いっきり楽しんで欲しい。でもやっぱり熱い男と野球が出来なくなるのは残念で仕方ない」
新井選手「寂しいですね。本人から電話で聞きましたが、最初は冗談だと思って、信じていませんでした。まったく予想していなかったです。赤星は選手会長でもありましたし、それ以上に真のチームリーダーとして、すごく周りに気配りができて、僕が移籍してきたときも、同級生だし、本当に助けられた。赤星がいなかったら、タイガースの中での今の僕は無いと思います。とにかく赤星本人が決めたことだし、同じ年齢としてこの決断は相当なものだと思う。本当に心からお疲れ様と言いたい。同級生ですし、引退はしても、これまで同様仲良く、時にはいろいろな相談をして、助けてもらいたいと思います」
鳥谷選手「とにかくまったく想定していなかったので、びっくりしました。入団時から公私ともに色々相談させてもらって、僕も赤星さんのお陰でここまでやってこられましたし、とにかく、あまりにも急だったので、今はあまり言葉が浮かびません。とにかく体を大事に、これからの人生を楽しんでほしいと思います。僕に出来ることは、赤星さんが選手会長として築いてこられたものをしっかり引き継いで、タイガースをより良い、強いチームにしていきたいと思います。ただ、やっぱりもっと一緒にプレーしたかったですし、優勝の瞬間を一緒に喜びたかったというのが正直な気持ちです。残念で仕方ありません」
城島選手「素晴らしい選手ですし、同級生としてもタイガースで一緒にプレーできることを楽しみにしていたので、引退は本当に残念です。でも、赤星が決めた事なので、彼の意思を尊重します。本当にお疲れ様でした」
桧山選手「頑張っている姿は目に焼き付いている。小さな体でガッツあふれるプレーをファンに見せていた。あの精神を皆で見習っていきたい。いいものを残してくれた。みんなで後輩たちに継承していきたい。残された選手で赤星の分までやっていかないといけない。来年は巻き返していかないといけない」
田淵OB会長「赤星の決断を尊重したい。頑張り屋の彼がぎりぎりまで我慢して出した結論だから、いい決断だったと思う。とにかくご苦労さま」
槙原寛己氏(大府の先輩、巨人OB)「大府では僕達(81年)以来センバツに出た時のメンバー。とにかく今は体をしっかり休めてケアしてもらいたい」
大府・馬場茂元監督「自慢の教え子の一人。負けず嫌いでしたし、何より人間性が素晴らしかった。時間のある時には、ぜひ母校で後輩のために話をしてあげてほしい」
亜大・内田前監督(現拓大監督)「あの体で頑張ってきたから無理もあったのかな、と思います。とにかく手を抜くことを知らない選手でした。今後は指導者としても十分期待できると思う」
JR東日本・中野真一元監督(現関内駅駅長)「5日ぐらい前に電話で報告を受けました。このような辞め方をする選手はそういないと思います。彼のそんな生き様、思いを後進の指導に生かしてほしいですね」

≪同様のけが経験した阪神・平野は赤星に理解≫
1、2番を組むことが多く、赤星と同じく小さな体で全力プレーを続ける平野。赤星の引退に「野球人、先輩として尊敬する人。これからも赤星さんに対する思いは変わらない。グラウンドで一緒にプレーしていると思って、何とか優勝したい」と誓った。
平野はオリックス時代の06年、ファウルフライを追ってフェンスに激突し、しばらくは車いすでの生活を送った経験がある。「僕も生死をさまよう怪我をした。恵一(平野)も分かってくれると思うと言われた」と寂しそうに話した。

≪虎総帥、引退赤星へ「将来は虎の指導者を」≫
坂井オーナーは9日、大阪市内の電鉄本社で引退を発表した赤星に対して再びタテジマのユニホームに袖を通すことを熱望した。「将来は絶対に阪神戻って指導者をしてほしい」。
プロ9年間で2度のリーグ優勝に導いた功績には「貢献どころか、その象徴みたいなもの。タイガースの野球を定着させてくれた大功労者」と絶賛。さらに引退への経緯は「球団としても苦渋の決断。様子を見るにしても将来のことを考えたら、野球界における彼の役割もある」と説明した。

≪「残念」星野SD忘れんよ…あのV打≫
あのガッツをもう一度見たかった…大熱狂の甲子園で、小柄なヒーローの体を強く抱きしめた。今も残る、あの感触。星野SDが9日、現役引退を表明した赤星の闘志を称え、惜別のメッセージを贈った。
「元気でハツラツなあいつのプレーがもう見られないのは、残念やね、2003年の優勝が決まった最後のゲームでのサヨナラヒットは、今でも鮮烈に覚えているよ」
9月15日、デーゲームの広島戦。九回一死満塁のチャンスで打席に向かう赤星を呼び止めた。「思い切りいけ!」。優しく肩をもみ、笑顔で送り出した。その期待に応え、バットを短く握った赤星は初球打ち。右翼の頭を越えるサヨナラ打で、優勝マジックを1とした。ナイターでマジック対象のヤクルトが敗れ、18年ぶりのリーグ優勝。夜の甲子園で、宙に舞った。星野仙一の野球史、優勝を語る上で欠かせない立役者だった。
「足の速い選手だったのは勿論だけど、ガッツに溢れた選手だった。男は体の大小で決まるのではなく、肝っ玉の大小で決まるんだよ」
03年は長打力のある1番・今岡に続く2番に置いた。次の塁を狙う姿勢と、アグレッシブで範囲の広い守備。その熱い目を見れば、身長など問題ではなかった。信じた起用に応えた男。強く結ばれた信頼関係は今も変わっていない。
「悔しいだろうけど、でもバットとグラブ、後あいつの場合はスパイクを置いても、やることはたくさんあるから、まだまだ頑張れ!」
人生は、ユニホームを脱いでからのほうが長い。まだ33歳。車いすを寄贈し続けてきたチャリティー精神と、アマチュア野球チームを運営してきた野球への熱い思い。青少年のあこがれを集めた“背中”を生かし、出来ることはある。スパイクを脱いでも、走り続けろ…かつての教え子への、最後の贈る言葉だ。
「お疲れさんという言葉は、使わない」
湿っぽい言葉はいらない。タテジマに袖を通した同志として、一緒に野球界へ恩返ししよう。

≪ノムさん、赤星引退にショック「まだ早い」≫
2000年当時、阪神の監督だった野村克也氏。師匠は愛弟子の突然の引退発表に衝撃を隠せなかった。
野村氏は都内でイベントに出演した後、「まだ早い。俺がいい医者を紹介してやる。“野村さんに言われたから復帰します”って、引退なんていくらでも撤回できるやろ」と声を張り上げた。
2人の出会いは2000年春の阪神キャンプ。JR東日本の赤星がシドニー五輪代表候補として派遣された時、足の速さに驚いた。スカウトは「足だけ」と低評価だったが、その年のドラフトで「同点の九回に代走で使うから」と獲得。「出塁率を上げろ。三遊間に転がせ。内角球に逃げるな」と言い聞かせた。赤星は1年目に新人王、盗塁王、ゴールデングラブ賞を獲得するなど、適材適所の野村野球の申し子でもあった。
それだけに師匠も無念さでいっぱい。「“お前は俺に足を向けて寝られないぞ”といつも話してきたけど、あいつが“自分があるのは野村さんのおかげ”と言ってくれて指導者冥利に尽きるよ。禍を転じて福となすという言葉もある。人を生かす、人を生む、そうした仕事に励んでほしい」と第2の人生にエールを送った。

≪ノムさん「赤星は礼儀知らず」とボヤく≫
野村前楽天監督は12日、TBS系情報番組「知っとこ!」にゲスト出演し、赤星外野手の電撃引退について語った。司会のオセロ中島から、ボヤきたいことはと振られると、「スカウトのリストにもない足だけの選手だった。おれが取れって言ったから、野球をやれて何億も稼いだっていうのに。まずおれに連絡を寄こすべき。礼儀知らずだ」と、ノムさんらしく毒舌交じりで、赤星の早すぎる引退を惜しんでいた。

≪浅井、赤星の後継者目指す「頑張る」≫
「(9月12日の試合で)ダイブした後に赤星さんから『後は頼むぞ』と言われたことが印象に残っている」浅井が10日、言葉を選びながら赤星の後継者を目指すことを誓った。
「1番・中堅?そうですね。(赤星と)同じようにはできない。足も叶わないし、違う形になると思うけど、自分のいいところをアピールしたいですね」。赤星が戦線離脱後の9月16日の巨人戦(東京D)から「1番・中堅」に座った9試合全てで安打を放つなど、1番の後継者としてアピールしてみせた。「何とか頑張ります」。偉大な先輩への恩返しは後継者本命になるしかない。

≪林、赤星の“後釜”意欲「チャンス」≫
林が10日、赤星の“後釜”に意欲を見せた。前日9日の引退発表に「すごくびっくりしています。今でも信じられないし、すごく残念」と肩を落としたが、来季へ向けて「僕にとっても、他の外野手にとってもチャンスだと思う。赤星さんの穴を少しでも埋められるように頑張りたい」。右翼定着を果たせていない左の大砲が、決意を新たにした。

≪オリ・岡田監督、赤星引退にしみじみ…≫
昨季まで阪神の監督を務めたオリックスの岡田監督は、赤星の故障との闘いをしみじみと振り返った。
「盗塁の数だけ車いすを贈っていたやろ。無理したら自分が車いすに乗ることになると、医者に言われたことがあるらしいよ」。一昨年は「グラウンドに立ったらどうなるか分からないから、両親に一筆書いてもらった」ほどの状態だったという。2005年にリーグ優勝を飾ったのも「赤星が走者に出たから」と1番打者の功労を称え、突然の引退表明に話が尽きなかった。

≪オリ・浜中、赤星から“バトン”託された!≫
オリックスの浜中が10日、阪神時代の同僚、藤本(阪神からヤクルトへFA移籍)とともに、ファン210人を集めたパーティーに参加。引退した赤星から“バトン”を託されたことを明かした。「昨日一緒に食事へ行きました。やりたくても出来ない悔しさがあると思うし、その分『お前たちが頑張ってくれ』と」。多少の怪我でもプレーを続けた赤星の姿勢を受け継いでいく。

≪赤星選手が電撃引退、「希望の星だった」≫
「自分自身赤星さんと同期入団で9年間一緒にやって1年目から活躍してる姿を見れば負けてられん!と発奮させてくれました」と自身のブログで語るのは、ヤクルトに移籍した藤本敦士選手。
最初に引退の話を赤星選手から聞いたときは「冗談はやめて下さい」と答えたというが、その決断は相当の覚悟だったと思うと述べ「今でも実感がないですけど赤星憲広さんが決断したなら受けとめます。本当に寂しくなるけど、お疲れ様でしたと言いたいです」と記している。

⇒阪神の関係者、元阪神の関係者の方々には、非常にショックなニュースだったでしょうね…私もまだ覚えていますよ、03年のあの決勝打。暗黒時代を抜け出せたのは、赤星選手の力が非常に大きかったです。



by,tora-neco



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by kuru2chanbei | 2009-12-09 20:58 | 虎球団

わたくし“スーパー・ポジティブ”な関西人・tora-necoが、タイガース日記を気ままに書いてみる。
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